「自分のブログと記事は需要があるのかな・・・」と決めるのは自分じゃねぇ!

ブログ論
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SEO対策の勉強をしているとあることに気付きます。

「俺のブログのこの記事は果たして需要があるのだろうか・・・」

自分もそうですが、検索をかけるときは問題の答えを求めて記事を探します。
考えていると自分のブログが誰のためになるのか正直不安になり、おとといくらいから更新が滞りました。

今まで書いた記事も自分と同じような悩みの人がいるかもしれないと、実体のない読者へ発信していたわけですが、よくよく考えると本当にいるのかは定かではありません。

そんなモヤモヤしていたとき、習い事に来る子供達に先生として指導していて答えの様なものが見つかりました。

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需要と供給

本来ブログの記事というのは、読者のニーズに合っていなければ流行るものではないと思っています。
SEO対策と言うものもしっかり世の中の知識を求めている人が検索したがるワードを調べて、たどり着いた人が求めた答えを得られて検索順位が上がっていくものだと認識していますが・・・。

あってんのかこれ?

自分の書いている記事が世界中の誰かのためになっているのか
広い広いネットの海に漂う、ど素人が書いた記事に需要があるとは現状到底思えません。

勿論最初からそんなこと考えながら記事を書いているわけではないですが
どうしても記事を量産しても、twitterを活用しなければ閲覧数はそれはもう目も当てられないレベルとなるとドンドンネガティブに・・・。
勉強不足というのもあると思います。

本当に需要はないのか

僕はとある競技の先生をしています。

自分が運営しているわけではないですが、その中の指導員の一人としてです。

最近子供に指導している時に

「俺の指導がこの子たちのニーズに合っているのか・・・」

と考えました。

相手は子供なので自主的に習い事をしている子よりも
親に習わされた子もいると思います。むしろ習わされた子の方が多いかもしれません。

その中で

「みあ(自分)と言う人間に習いたくて入会した」

と言う子は悲しいですが0に限りなく近いです笑

需要が「生まれる」

しかし需要がないにも関わらず、うちの生徒は40人近くいます。登録(いわゆる幽霊部員)だけの子も合わせると60人近くもいます。

自分に対しての需要はないのに、それだけの人間に指導しているという事実。

世の中には同じ種目で指導している人間が星の数ほどいると思いますし、自分より質の高い指導をしている人間もまた然り。

ただ生徒(その親)からすると、習いたいと思った競技を見学したら偶然自分と言う指導員がいて、自分の指導によって成果(大会入賞など)が出たことにより需要が生まれたのだと思います。

またこちらもごく少数ではありますが、現役時代の成績や経歴などから同業の方より指導を依頼されることもありました。
自分としては僕が出来る指導に金銭的価値はないと思っているので、教えるとしても無料でという条件でのみ依頼を受けていましたが、長い事続けることで需要が生まれると言う事も身をもって体験しています。

記事を産まなければ需要は生まれない

ここでブログに置き換えてみますが

記事が全く読まれない・・・」

とか

「俺の記事に需要なんてねぇな・・・」

なんて思っていたらいつまで経っても需要なんて発生しません。

これは有名なブロガーも自分も同じだと思います。
記事を生産しない限り、需要は生まれないからです。

ただ有名ブロガーの方はすでに人物自体に需要があるので

書いた記事に需要があるのは言わずもがなですが
書く行為そのものにすら需要があるんですよね。

自分みたくどこの馬の骨かもわからない人間が記事に需要を付与するには
ひたすら記事を書いて需要を産むしか方法はないようです。
記事を書くことで実績が生まれ、実績が需要を生みます。

そう考えたら需要があるかないかを考えずに
まずは実績作りのためにとりあえず記事を書いていかなければならない
と思えるようになりました。

というか現時点で需要とか考えたらないとしか言えない

需要があるかどうかを決めるのは自分じゃありません。
読んでくれてる人が決めることです。

自意識過剰でした(^◇^)また初心に帰って記事を書いていきたいと思います!!!

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